2019-12-30 麦とろと願望のお話 Uncategorized 今日は『和食のきほん』柳原尚之さんの麦とろを作りました。山芋を長いもで代用して使いました。麦ごはんにはしませんでした。なのでご飯のとろろがけです。 今日はだしの話をします。こういう知識的な文を入れないと話題がなかなか見つからなくて…。今日はだしもひきました。一番だしです。水に対して重量比昆布1%、鰹節2%です。昆布は水から入れ沸騰直前に取り出す。鰹節は沸騰したところに入れ短時間加熱する。旨味成分は昆布がグルタミン酸(Gln)、鰹節がイノシン酸。昆布を取り出すのは長時間過熱により粘性を持つ多糖類のアルギン酸による粘りが出るので。 だしを大事に作ってみたかったので今回はひいたのですが私普段は顆粒だしの素しか使ってない様に思います…。面倒くさがりなので。世の中のお母さん本当に尊敬します。 だしで割り下にだしが入っているのですが小さいころから食べ慣れた味がだしでなくて酢だったりするのでどっちでもですが私はだしかなーと思ったりします。酢だとどっちかというととろろの酢の物みたいなイメージですね。 今日、久しぶりに友達に連絡入れたら『来年こそいい年にするぞっていう』返信があって自分にはこういうのがもっと足りないから、なんだかなーっていう日常に満足してしまっていて幸せが感じられないのかなって気づきました。 こういう気づきは大事です。 目標は元気で仕事してお金に困らない生活をする事です。 なんだか堅苦しい文章で自由に書けません。もっともっとすらっといろいろな事が書けたらいいのですがなかなか書けません。 お金に困らないっていうと好きな服買って食材も買い出しによく行けたり美味しいレストランに行けたりいろいろあります。 幸せっていうと小さい頃の願いって美人で優しくて頭良くて誰からも好かれるような人気者になりたいっていうもので仏壇の前で祈っていました。 真面目ないい子からしたら高すぎる望みでした。 あれから十何年たってますが諦めかけています。 小学生だったあの頃の自分にいろんな悩みは病気してからどうでもよくなるよって言いたい。 願望って叶わないものなのかなってこれ書いていたら思ってしまいます。でも晩年には達成できるかもしれない。 人生長いスパンで考えていきましょう。 というか昔の自分って自分以外の誰かになりたかったのかもしれません。隣の芝生は本当に青く見えます。 今でもそれは変わりません。ただ積み重ねた経験がある分他の誰かになり替わりたいとは思わなくなりました。自分でいいんだって思えるようになりました。 願望の話ですね、比較してみると年取るともっと具体的でもっと切羽詰まった願いになっていくんだなって自分の場合はそうみたいです。 お金と元気な身体があれば解決してくれるみたいです。 それだけではなくてあわよくばとも思う事もあります。 流れ星が流れると金・金・金、愛・愛・愛。くらいの勢いで願望だけは言えます。 結婚の話題はまた今度にしてとは思いますが願望の話だけはしとこうかと思います。 何もかも余裕持って結婚して家庭を築けたたと思う事もあります。 晩婚だろうなと思います。 アプリなり婚活パーティーなんなり必死に探してやっと出会えると思っています。 そう思う様になるまで女子中高を出た私にはキツすぎる叶わない恋愛をしてしまってからそう思えるようになりました。 病気かかったくらいですから。 ほんま笑い話にしかなりません。 今日はこれくらいにして黒歴史は書かないようにしよう思いますが書きそうでこわくなりました。 今日はこれくらいで終わりにします。年は戻せないので今を必死に生きたいと今日改めて思いました。若さも無駄にしてるのかな。すごく悩みます。 参考文献:『和食のきほん』柳原尚之、調理理論と食文化